変じゃないブログ

なんかいろいろ。へんしゅうぎょう。ツイッターは@henjanaimon

パンツ(排泄物)売りの少女だった頃の話❹

Cさんは実際会うと、サラリーマンにしては明るめの茶髪をきれいに整え、今風なデザインのメガネをかけたサラリーマンだった。話し方も軽やかで、使う言葉も少しチャラいぐらいの男性だった。

「めっちゃ可愛いですね!」「久しぶり!今日も会えて嬉しい〜」「髪型変えたんだ!似合ってる」Cさんの口から出る言葉は、ごくごく普通の女慣れした男性が使う言葉で、今までろくに男性と会話したことがなかった私には少し気恥ずかしいほどだった。いつもニコニコしていて、別れ際には「今日もありがとね!」と、爽やかで優しい笑顔を見せてくれた。

Cさんに対し、私は2つの疑問を抱いていた。1つ目は「なんであんなに普通の、しかも若い男性が、女の下着なんて欲しがるんだろう…?」という疑問、2つ目は「あんなに爽やかな人なのに、なんでメールはこんなに暗いんだろう…?」という疑問だ。

Cさんから届くメールは、筋金入りのリストカッターだった私から見ても、異様に暗かった。「今日も憂鬱です」「仕事が辛いです」「僕の楽しみは、◯◯さんに会うことしかないんです」◯◯さんというのは、掲示板で使っていた私の偽名だった。なぜ、あんなに爽やかで、しかも「おじさん」というのは憚られる若い男性が、偽名しか知らないような関係の女に、ありったけの心情を吐露するのか。その気持ちがまったく理解できなかった。

Cさんはすこし年配に見積もっても、30代前半。見ようによっては20代に見えた。それくらいの男性は、オトナの女性とバーでデートしたり、毎日同僚と酒を酌み交わしているものではないのだろうか。ましてや、Cさんなんて人気者だろう。毎日トイレで弁当を食べている私なんかより、ずっとずっと友達もいるだろう。

その頃の私は、大人にはなんの悩みもないものだと思っていた。やりたい仕事をして、好きな人と恋愛をしてセックスして結婚して、子宝に恵まれたりなんかして。毎日リストカットを繰り返す自分が背負っているような、くだらない悩みなんて一切ないんだと信じ込んでいた。だから、Cさんが毎日とても辛そうなことが解せなかったし、放っておけなかった。

妖怪ウンコ喰いおじさんにもホスピタリティをもって接していたぐらいだ。私は毎日毎日Cさんを励ました。

「そんなこと言わないでください(;_;)」「またエクステをつけました🎵前に褒めてくださって嬉しかったので💕」「Cさんは優しい人ですよ💦」今思うと、10代の拙い気遣いだったと思うが、元気になってほしい一心で、私は必死にメールを書いた。たまに学校に行っても、授業中なんて関係ない。落ち込んでいたらなるべく早く返信をした。パンツの売買で繋がった男女の範疇を超えるくらい頻繁にやりとりをしたが、Cさんは律儀にパンツも買い続けてくれた。

ふと、「Cさんは本当はパンツなんか欲しくないんじゃないのか?」という疑問が私の脳裏をよぎった。もし、Cさんが排泄物や生理パンツを欲しがっていたなら「それはそれ、これはこれの性欲なんだな!OKOK!カマン!」と思うことができたが、Cさんはいつもノーマルな1日使用のパンツを求めてきた。もしかして、パンツは口実で、ただ私に会いたいだけなのかもしれない。

そんな考えが浮かんだが、さすがにCさんには言い出せなかった。小・中学校と男子に外見を貶され続けた私は、たくさんの男の人と売買を交わしても、まだ少し男の人が怖かった。

嫌なことをたくさん言われた。机を投げられたこともあった。しかも思春期を迎えると、男子は暴力性に加えとんでもない性欲も持つらしい。ほぼ女子高な高校に進学した私は、自分を馬鹿にしてきた男子とエロ漫画の登場人物しか「男」のサンプルを知らなかった。どうしても男性を信用しきれなかったのだ。

私はCさんからお金をもらう罪悪感を、丁寧にメールを返すことで拭おうとしていた。道端でスーツの男性とJKが長々会話しているとリスキーなのは、他の男性もCさんも変わらない。いつも会話は短めに切り上げた。その代わり、頻繁に長い長い長文メールをCさんに送った。Cさんから届く、少し元気になったようなメールが、私の唯一の免罪符だった。

それから月日が流れ、私は高校を卒業し予備校生になった。大阪の予備校に通っていたが、私が目指していたのは東京の美大だった。美大は、受ける大学により受験内容が全然違う。志望校でただ一人、東京の大学を志望していた私は、大阪の予備校では持て余されていた。

東京の予備校に通いたい。それに、もう自分はJKではない。「潮時なのかも」と思った。まだ東京に行く予定はないが父が単身赴任をしているため、私が言えばすぐ東京には移住できる。私は、Cさんを含めた常連みんなに、メールを出した。「そろそろ上京するので、もうやりとりできません」と。(ちなみに前回のブログ記事で、まるで私は初めて出来た彼氏の元にいくため上京したかのように書いたが、高校生の頃から東京の予備校に通いたかったし、Cさんとやり取りしていたのは彼氏ができる前だ)

みんな、「残念だけど応援してます」といったような返信をくれた。私の常連さんたちは、JKからパンツを買っていたけど、多分そのパンツでオナニーしていたけど、みんな良い人たちだったと思う。みんなからの返信で少しセンチメントな気持ちになっていた頃、Cさんからも返信が来た。その内容に私は驚いた。

 

「◯◯さん、今まで本当にありがとう。気づいてたと思うけど、僕には妻子がいます。妻子がいるのに、僕はもうすぐ会社を辞めて、医療業界で働く資格を取るために、学校に通い始める予定です。◯◯さん、最後にお願いがあります。思い出に学校で使うシャーペンを一本、送ってくれませんか?家には妻がいるので、この郵便局に送ってください」といった内容だった。

Cさんは若く見えたから、てっきり独身だと思っていたのに、妻どころか子供までいた。お父さんだったのだ。でも驚きより、Cさんが嫌っていた会社を辞めて、新しい夢に向かって歩もうとしていることへの喜びの方が強かった。シャーペンぐらいお安い御用だ。ブランド物の文房具なんて知らなかった私は、東急ハンズに赴き、一番おしゃれだと思ったシャーペンを買った。私も予備校でデッサン鉛筆に使っている、ステッドラー社の製図用シャーペンだ。「私も頑張るから、Cさんも頑張ってね」という想いを込めたチョイスだった。

後日「◯◯さんありがとう!嬉しいです、絶対大事に使います。シャーペンのお代金を振り込むから、口座番号を教えてください」と、Cさんからメールが届いた。私は今までのお礼や、Cさんにパンツを売り続けた罪悪感から、その申し出を断った。それで終わるはずだった。でも、Cさんは食い下がった。「それでは申し訳なさすぎます。絶対教えてください」いつもメールでは弱気なCさんにしては、語気の強いメールだった。私は渋々口座番号を教えた。

今思うとCさんは口座を見て初めて、私の本名を知ったのだ。そんなことすら、あの頃の私は気付かなかった。

 

私は来月、30歳になる。きっとあの頃のCさんと同じくらいの年齢だ。仕事は決してやりたい仕事だけできているわけじゃないし、好きな人にはふられまくってる。好きじゃない人とセックスして落ち込むことなんて日常茶飯事だし、結婚の予定もなければ、一生子供なんて産めないかもしれない。大人になっても、悩みは尽きないし、悩みのない大人なんてきっとただの一人もいない。今の私なら、Cさんの苦悩を分かってあげられるかもしれないと、よく思う。

結論から言うと、私の口座には70万近いお金が振り込まれていた。私が送ったシャーペンは1000円そこらの品物だ。すぐCさんに連絡し、こんなものは受け取れないと伝えた。Cさんは「東京はお金がかかるし、これが僕の精一杯のお礼です」と、頑なに自分の口座番号を教えてくれなかった。私には、あんなに強引に番号を聞いてきたくせに。結局志望校とは違う大学に通うことになった際、親が「単身赴任中の父と一緒に住まないなら、もう知らん」と初期費用などを出してくれなかったので、Cさんがくれたお金で私は家を借りた。家具を買った。それでもまだ余るほどの大金だった。おかげで大学に通えた私は、高校の頃の鬱屈とした日々とは正反対の、素晴らしい日々をおくれた。

きっとCさんは、あの時とても寂しくて、たまたま現れた包帯まみれの腕の私に同じものを感じてくれて、好きになってくれたんだと思う。あれから10年以上の時が流れて、私はダメな大人になった。27歳のときには心肺停止で緊急搬送され、ICUで治療を受けた。今は復活したけど、メンヘラはメンヘラだし、おまけにとてもヤリマンだ。

Cさんと会わなくなって、私はすぐ処女ではなくなった。いろんな男性とセックスをして、恋愛もした。本当に私を愛してくれた人もいた。だからこそ、あの時Cさんが私にくれたものは、ただのお金じゃなくて愛だったんだとよくわかる。私は、Cさんに何かを返せていたんだろうか。

仕事で医療系のパンフレットを見るたびに、私はCさんを思い出す。必死で普通の大人を装っていたけれど、ほんとは弱くて、とても優しかったCさん。夢は叶えたんだろうか。家族とはうまくやっているのだろうか。もう、年端もいかない女に、悩み相談なんてしなくても大丈夫になってるんだろうか。あのシャーペンを、今も持っているのだろうか。

色々なことを考えて、最後はいつも「やっぱりお茶ぐらいしておけばよかったな」と、少しだけ後悔する。

パンツ(排泄物)売りの少女だった頃の話❸

意外かもしれないが、排泄物はパンツより高価な値段で取引されていた。おそらく、需要に対して供給が少ないから、取引値が跳ね上がっていたんだろう。「需要と供給と売価のバランス」を、私はウンコで学んだ。「そんなことあるんだ」って感じではあるが、やはり座学だけでは知識は身につかない。それはJKビジネスの世界でも同じだった。

私がほかのJKたちの書き込みの見様見真似で設定した、なかなかの高額でも交渉に応じてくれた男性は、おそらく普通のサラリーマンだ。まとまった額のお金を、月に何度も自由にできる環境下にはいなかったのだろう。

はじめての待ち合わせの日、男性が手にしていたお弁当入れらしい手作りの巾着は、ファンシーな車のイラストが描かれていた。おそらく、奥さんが息子の分を作るついでに彼にも作ってあげたのだろう。「こんなの会社に持っていけねーよ」と文句を言うことなく、それを日常使いしてあげる旦那。とてもいい旦那ではないか。ただ彼は退勤後、JKからウンコを買い、深夜風呂場でウンコとセックスしていた。しかもその感想を、情緒たっぷりにまとめ、17歳の女に送りつけていた。

「人間の闇」といっても差し支えないな、と私は感じていた。

彼からの「買いたいのですが」メールはだいたい月に1〜2回、送られてきた。その都度、私は待ち合わせに出向き、ブツ(何回もいうが、ウンコ)を渡した。そして決まって深夜には夢小説が届く。最後の方は、ヒートアップが過ぎて文学性が増していたのが面白かった。あの時の文面を、なぜ残しておかなかったのだろうかと悔やまれる。歴史的な文学小説も確かに素晴らしいが、今を生きている人間の、脂ぎったきらめきには勝てない。今の私には素直にそう思えるが、JKの私には「メールが届く瞬間」がなかなかの苦痛に変わっていった。どれだけ文面を無視して温度の低いお礼メールを返しても、ドギツい夢小説は取引の日以外も送られてくるようになった。「そろそろ限界かも」と思っていた頃、彼からあるメールが届いた。

「妻に全部バレました。もう買えません」お前、いつもの夢小説テンションはどうした?というぐらい、簡素なメールだった。

いや、「全部」ってなんだよ。JKからウンコを買ってたことか。それとも風呂場でそれを(たぶん)自分の身体に塗りたぐって射精してたことか、はたまたその射精の感想を小説仕立てにし、レビューを製造者の元に送っていたことまでか。訳がわからなかった。さらに訳がわからなかったのは3ヶ月後「もう大丈夫だと思うので、また買いたいのですが」と連絡してきたことだ。いや、たぶん大丈夫じゃねえよ。離婚されてないだけでも奇跡なのに、なにが「もう大丈夫」なんだよ。奥さんもヤバいのか。ならあなたとお揃い(たぶん)の弁当袋を所持する息子はどうなるの。うんこって断てないものなの。「禁煙、また失敗したー」みたいな感覚なの。

何から何まで訳がわからず怖かったので、その男性とはそこで縁を切ることにした。

 

売買掲示板にはいろんな人がいた。同じく排泄物を求める男性から「ニラを食べた後のウンコを売って欲しい」と依頼され、「学生なので献立は親が決めます。ごめんなさい」と返したら「じゃ、コーンは?」と聞かれたこともある。「じゃ」じゃないから。「コーンならいけます!」ってなる道理、ある?

他には、コピー機で印刷した偽札を渡してくる人もいた。当然腹は立ったが、JKのパンツを買うためにコンビニだか家だかのコピー機で、お札を印刷するおじさんのすがたを思うと、急速に悲しい気持ちになり、許した。「世界は、誰かの仕事で出来ている」缶コーヒーBOSSのキャッチコピーだ。そのおじさんは、きっとどこかでは真面目に働きお金を得て家族を養い、世界を構築しているんだろう。JKのパンツを買うために、偽札を印刷しながら。

 

好きな常連さんも、何人かいた。一人目は「オナ済2日履き」常連のAさん。Aさんは背こそ低かったものの、清潔感に溢れ、顔も悪くない感じのサラリーマンだった。とにかく取引がスマートで、お金に余裕があるのか、高頻度で売買してくれた。当時私は「かっこいい大人だな」と思っていたが、よく考えるとどう転んでもかっこよくはない。オナ済2日履きだぞ。

二人目はおしっこ&オナ済パンツのJKハッピーセットご指名のBさん。この人はとにかく、容姿を褒めてくれた。「今日もかわいいね!」「ほんとはキャバ嬢なんじゃないの?ウソ、ほんとにJKなの?キャバ嬢になったら絶対ナンバーワンになれるよー!」あまり往来で言葉を交わすのは危険だから避けて欲しかったが、褒めてくれるのが嬉しくて、Bさんとは比較的よく会話をした。この時言われた言葉と、「丁寧なメールはおじさんの心に作用する。そして私はそのスキルを売買で培った」という自信を胸に、2年後私はキャバ嬢になり、東京の片田舎でお店のナンバーワンではないもののナンバー2になるのだけど、脱線するので割愛する。

「スキルを次の職場で生かす」なんてことは、今の私には出来ない。数少ない友達に「いいなーおじさん紹介してよ」といわれたときも、「おじさんたちは私のパンツ(排泄物)や、日々のメールを信用して取引に応じてくれてる。クオリティを下げるわけにはいかないから、申し訳ないけど分業はできない」と断っていた。あの頃の方がよほどビジネスパーソンだったな…と思う。

このBさんに「◯◯ちゃんのおしっこ、甘いんだけどジュース混ぜた?」と聞かれ、若年性糖尿病を恐れた検査に行ったが、陰性だった。おそらく彼の中で、「JKのおしっこ」は甘美なものだったから、味覚が錯覚を起こしたんだろう。あれ、ただのおしっこでしたよ。

3人目は、オナ済パンツや通常パンツ(1日履き)常連のCさん。Cさんはメガネをかけたとにかく普通の若いサラリーマンといった風貌だったが、会っているときの態度とメールのテンションに大きな隔たりがあった。分かりやすくいうと、多分鬱病だったと思う。

「彼氏と彼女」はつまり、お互いを大切な存在だと認識している人間関係だ。その観点からみたら、私とCさんはあのとき間違いなく「彼氏と彼女」だった。もちろん、私とCさんは売買の日以外に会ったことはなかったし、セックスはおろか、最後まで手を繋いだこともなかった。何度も取引に応じてくれていたけれど、実際に会話を交わした時間はトータル1時間にも満たなかったと思う。

 

でも、はじめて会った日から1年後、私はこのCさんから大きな愛をいただくことになったのである。

 

パンツ(排泄物)売りの少女だった頃の話❷

「生出しでウン◯」もしかしたら、この言葉の意味がわからない人もいるかもしれない。というか絶対いるので説明すると、文字通り(?)「生中継で出された◯ンコ」のことである。訳すると、「心優しいJKさん、どうか僕の目の前でウ◯コをひり出してください。流さず買いますので」という意味の書き込みだった。

快楽天を読んでいた学のある私は、そのような性癖の方がいることには怯まなかったが、生脱ぎや生出しはつまり、中年男性と個室でふたりきりになることを意味する。往来でJKがパンツを脱いだり、ウンコをしていたらさすがに横にいる中年男性はお縄になるからだ。ちなみに、パンツを売っていた頃の私は、ツルッツルの処女だった。(処女喪失の過程はこちらhttps://henjanaimon.hatenadiary.jp/entry/2020/02/19/010926をお読みください。相手は植物物語のトラベル用シャンプーボトルです)

中学生の頃、一時期だけ仲間にハブられたチョイ悪ギャルのKちゃんと一緒に行動していた私は、Kちゃんに言われた「初めては好きな人のためにとっとかないといけないよ」という言葉を忠実に守っていた。中学生の自分は頭を下げても誰もセックスしてくれない容姿だったことは置いといて、悲しそうな目をしながらKちゃんが言った、その言葉を守らなければいけないという忠誠心が私にはあった。中年男性と個室でふたりきり。それ即ちセックスを意味すると、快楽天を読んでいた私は反射神経で理解していた。でも私には、自分の自己肯定力を高めてくれるおじさんたちに、最高のサービスを届けねばという使命感もあった。「生は無理ですが、タッパーなどに入れてお渡しはいかがでしょうか?」私はその男性にレスをした。すぐに、私の捨てアドにその男性からメールが届いた。

「お願いします」

交渉成立の瞬間だった。

 

南海難波駅エスカレーターを上がったところで私を待っていたその男性は、今まで見た男性の中でも、ナンバーワンというぐらいのガリガリだった。その後判明する、男性がしていた事を思うと納得の体系だったが、まだ深淵をのぞいていない私は「ガリガリだなあ。ガリガリなのに奥さんが作ったっぽいお弁当袋を鞄と違う手に持ってるなあ。お弁当が少ないのかなあ」などと思いながら男性に声をかけた。

待ち合わせ相手である中年男性に声をかけたとき、彼らはみんな同じ顔をした。「待ってました!」と「恥ずかしいナ」が入り混じる、少し切ない表情。そのガリガリの男性は少し違っていて、目を見開きやたらハイテンションに「どーもどーも!」といったリアクションを返してきた。快楽天を読んでいる私も、この時ばかりは「そんなにウンコが待ち遠しいのかよ」と少し苦々しく思えるリアクションだった。

約束のブツ(ウンコ)を手渡すと、その男性は私の指示通り、中にお札が入ったポケットティッシュを渡してくれた。それ以上言葉を交わすこともなく、私たちはその場を後にする。公共の場で中年男性と若い女が親しげに話していると、両方にリスクがあるので、その場では必要以上の言葉は交わさない。コミュニケーションはすべてお互いの捨てアドでとる。売買の基本だった。

その日の深夜、男性からメールが届いた。他の男性は照れ臭さからか、「今日はありがとう!助かりました」といったようなNot下ネタメールを送ってくるのが基本だったが(なにが助かったんだろうか)、その男性からのメールは、一味も二味も違った。遥か昔のことなので記憶も朧げだが、覚えている限り再現してみる。

「先ほど風呂場でとっても興奮しました。僕の顔を◯◯さんがまたぎ、◯◯さんのオシリからみるみる溢れてくるウンコ………僕は抵抗できずにウンコまみれになり、◯◯さんの恥ずかしいところを舐め回す…射精しちゃいました。またお願いします」

驚きのあまり、ガラケーを見つめ私は固まった。送られてきたのは、彼と私(のウンコ)の夢小説だった。一瞬、理解が追いつかず混乱したが、「自分はこのようなシチュエーションを体験したんだ!」という妄想を、文章化したものらしい。

何度も言うが、私はこの時ピッカピカの処女だった。高1のころ、声をかけられた男性に無防備についていったらカラオケの中で口淫をせまられ、仕方なく従ったことはあったが、その時ですら嫌悪感で帰宅する際涙したほど、ピュアな女子高生だった。それが、こんな、いきなり、男性の性欲の底の底を見せつけられたのである。固まるのも無理はない。震える手で私は返信を打った。「喜んでいただけてよかったです☺️またお願いします✋💕」

私はすでに、ホスピタリティの鬼と化していた。

 

 

パンツ(排泄物)売りの少女だった頃の話❶

もう時効だと思うので、私がありとあらゆるものを売る少女だった頃の話を書く。

高校1年の頃、初めてバイトを始めた。某ファミレスチェーンのホールスタッフとして採用された私は、勤務1ヶ月がすぎたときにはもう抜け殻になっていた。

今でも下手だが、当時の私は現在に輪をかけて人付き合いが下手だった。とにかく人の発言を気にしまくって生きていたので、客のオーダーを聞くのも、同僚たちと世間話をするのも、店長に仕事を習うのも、何もかもが苦痛に感じた。疲弊し切った私は、「成績が落ちて親に怒られた」と学生らしい理由を捏造しバイトを辞めた。

そのときの傷も薄れてきた1年後、今度は居酒屋のホールスタッフとして働き始めた。この居酒屋には店長(社員)と料理長(社員)が在籍していて、店舗責任者が2人いるような形態の居酒屋だったが、この2人の仲が悪かった。

ある日、店長にしこたま怒られている私を見かけた料理長が、他のバイトスタッフに対し「新人があんなに怒られてるのに、何故かばったり慰めたりしてあげないんだ」と発言したらしい。今思うともっともな反応だけど、そのスタッフは私に「いいよね、料理長に気に入られてて」と嫌味を言ってきた。

「限界だ」と思った。どんだけ限界のハードルが低いんだよって感じではあるが、へなちょこメンタルだった当時の私はその発言で大いに傷ついた。その日の退勤時、いかにもアホな「女だったらなんでもいい」みたいな男性バイトに連絡先を聞かれたことも、私の精神にとどめを刺した。

「周りの同級生たちが普通にできてることが、どうやら私にはできないらしい」2つのバイトを1ヶ月で辞めてしまった私は、いたく落ち込んだ。高校生活がまったくうまくいってなかったことも、さらに追い討ちをかけた。ほぼ不登校で、毎日電車で終点の駅まで向かい、ホームで放心してからまた電車に乗り、元々いた駅まで引き返すことを繰り返していた日々の中で、私の中でひとつの閃きが生まれた。「周りの人と同じことができないなら、私にしかできない方法でお金を儲けたらいいんだ」

世は魔法のiらんど戦国時代。ガラケーを使ってすこし検索をかければ、ゴロゴロその手のサイトがヒットした。「🎀🩲パンツ売りの少女🩲🎀」と名がついたそのサイトには、自分の私物や身体を売りたい女子高生と、買いたい中年オヤジが押し寄せ、掲示板で交渉を繰り広げていた。「生脱ぎ希望」「生脱ぎなら+10k」「ホ別20kで」「オナ済希望です」専門用語が飛び交う様子に始めこそたじろいだが、そこは10代である。さすがの吸収力で、初めて掲示板にアクセスした2週間後には、初めてのお客様と待ち合わせをしていた。

「JKを売ろう」と私が思いついたきっかけというのが、高校2年生になり、ダイエットに成功し17キロ痩せたことだった。生まれて初めて肥満体でなくなった私は嬉しくて、今までしたかったことをすべてやり尽くした。露出度の高い服を着る、エクステをつける、可愛い色のコスメで化粧をしてみる。学校は辛かったけど、毎日が楽しかった。「もしかしたら、私も普通のJKに見えるかもしれない」と思えて嬉しかった。その純粋な喜びは一瞬で軽犯罪開始のきっかけに変わるわけだけど、若い子が不良になる導入なんてみんなそんなもんだと思う。若さは美しく、ときに残酷だ。

自信はあった。私はもう普通のJKだと。それでも、やはり不安は残っていた。待ち合わせ相手に、「ブスじゃねえか!」と罵倒されたらどうしよう。いや、それだけに終わらず「ブスなんだからタダでヤらせろよ」と、人気のない場所に引きずり込まれ、強姦されたらどうしよう。自らリスキーな行為に乗り出したのは他でもない自分なのに、最悪の事態を想像し私はビビっていた。当時からめちゃくちゃ快楽天を読んでいたのも、悪い妄想が止まらない原因だった。待ち合わせ相手が来ないとお金が儲からない、でも会うのも怖いと、俯きながら時が過ぎるのを待っていたら、パリッとスーツを着た中年男性に声をかけられた。

「◯◯ちゃん?」私が掲示板に書き込んだ偽名を呼ぶ中年男性は、振り返った私の顔を見ると嬉しそうに「可愛い子でよかった」と言った。

変な話ではあるが、私はこの時初めて、親戚以外の異性に「可愛い」と評価された。パンツを売りたい女と、パンツを買いたい男。最低の人間関係だけど、涙が出るほど嬉しかった。私が、小学校も中学校もずーっと「デブ」と言われ続けた私が、異性に可愛いと言われる日が来るなんて。バイト先のアホに連絡先を聞かれたとき「もしかして女として見てくれてるのかな」と思ったが、そこは相手も10代の若者。スマートな褒め言葉などはかけてくれなかったから、まだ自分に自信が持てなかった。正真正銘、私が初めて「可愛い」と言われたのはこのときだった。

お金をもらうのも申し訳ない気持ちになったが、その男性が手際よく渡してきたお金を受け取って帰路についた。私は、お金が儲かった喜びより、初めて異性に容姿を褒められた嬉しさでいっぱいになった。

長い間拗らした自意識は、いとも簡単によくない原動力へと変化する。その日から私は掲示板に張り付くようになった。毎日のように違う中年男性と待ち合わせ、私物を売り渡した。「可愛いね」「また絶対メールするね」「今度はいつ売れる?」嬉しい言葉が私のもとに続々と届いた。自己肯定感を彼らに見出していた私は、キャバ嬢も顔負けの丁寧な返信をしまくった。この時にはもう「お客様にはその日だけでなく、アフターサービスで喜びを提供したい」と一流のホテルマンみたいなことを考えていた。東横◯ンぐらいになら就職できていたかもしれない。「その情熱を勉強に傾けていればそこそこの大学にいけただろ」というぐらい私は、熱心に売り活動を続けた。そんな日々の中で、私はとある書き込みを見つける。

「生出しでウ◯コを売って欲しいのですが」JKの排泄物を求める男性の書き込みだった。