変じゃないブログ

なんかいろいろ。へんしゅうぎょう。ツイッターは@henjanaimon

私はオースティンパワーズにもなれる

せっかくはてなブログを始めたので、ちょっくら公式で設けられてるお題使ってブログでも書こうかなということで、今週のお題「大切な人へ」をテーマに書く。バレンタインデー向けのお題だということは奇跡的に鈍い私でも流石に重々承知しているけど、私にとっての「大切な人」は同い年の女を指す。

 

周知の事実だとは思うが、もう一度改めて言葉にすると、私には友達が全然いない。本当にいない。「僕は友達が少ない」が「はがない」として流行った時は「なーにが『はがない』じゃ!ワシなんか友達もおらん上に摂食障害の後遺症で文字通り『歯が無い』でもあんねんぞ!」と怒り散らしたくらい、友達が少ない。冷静に考えると上の歯が根こそぎ無くて、入れ歯をはめないと人前に出られないような顔の女に友達がたくさんいるはずがない。

そんな私でも、もう知り合って20年になる友達がいる。Twitter上で私が「心友」とつぶやきまってる女だ。

心友と私の出会いは約20年前。お互い、小学5年生で初めて同じクラスになった。脱線するが、私と心友はずっと一緒にいすぎて中学の頃、学年主任に意図的にクラスを離されていたので、小5〜中3の間で同じクラスだった期間は小学5〜6年生の2年間だけだった。

心友は私と違い、線が細くて痩せていて、綺麗な栗色のフワフワした髪の毛の、女の子らしい女の子だった。いつも控えめで、あまり自己主張をせず人の隣で笑ってる、そんな女の子。トイレのあと、スカートでパンパンに太った手の水滴を拭う私と、いつも母親が持たせたのだろう可愛らしいハンカチで小さい手を拭く心友は、当然初めまったく仲良くなかった。

「あんたは体系ジャイアンのくせに、ほんまに中身はスネオみたいで最悪やった」と心友がいう通り、小学生の頃の私はまだ周りに馴染もうと頑張っていた。一番権力者の女の後ろに回り、その女に同調した悪口を言ったりすることで自分の立場を守ろうとしていた。そんなふうだったので、当たり前というか、心友も私のことを快く思っていなかった。

心友と私が仲良くなったのは、今でもハッキリ「あの時だった」と断言できる出来事があった。小学校を卒業したあと、中学に入学するまでの短い春休み。本物の大人からすると背伸びが可愛いような「もう自分は中学生になって、大人になるんだ」とワクワクしている、気持ちが浮き足立つ春だった。

「もう中学生だし」と、私は心友を映画に誘った。当時大ヒットしていたフランス映画「アメリ」が観たかった私は、心友と連れ立ってミナミの映画館まで足を運んだ。(この映画のチョイスから分かるように、私は中学入学後、坂道を転がり落ちるようにサブカルクソ女になるのだけど、それはテーマとズレるので割愛します)

正直、「アメリ」は12歳の私たちにはまだまだ早すぎる映画だった。誘った私も誘われた心友も「退屈だな」と思いながら映画を観ていたら、いきなり後ろの方に座っているオッサンが気が狂ったように笑い出した。

洋画には、それはもうたっぷり小ボケがある。残念ながらアッパーではない我々日本人にはそんなに面白く思えない小ボケが、端端に散りばめられている。その小ボケで、オッサンは「あの人、ほっといたら死ぬんでは?」というぐらい大爆笑する。何回も何回も。

「いや、そういう映画ちゃうねん」映画館だから声は出せないけど、心友と私は同じことを思い、顔を見合わせて縮こまりクスクス笑った。あの時、心友と私は友達になったんだと思う。

 

いまだに語り継がれる「アメリ事件」のあと、私たちは急速に仲良くなった。中学生になり自意識が剥き出しになることで、心友は「おもんないやつは死ね」が信条の過激派お笑い勢力、一人っ子らしくワガママでものすごく剛気で、明るく可愛い女の子になっていった。私はというと、まんまこじらせ長女。アメリぐらいで止めときゃいいのに、成瀬巳喜男の映画を観たり、江戸川乱歩の本を読んだり、丸尾末広の漫画を模写したりするドメンヘラサブカルクソ女になった。小学生のときのような「気の合わない子でも仲良くしなきゃ」という社会性は皆無になり、私は毎日大好きな心友とだけ遊ぶようになった。

心友は健全に成長したので、別々の高校へ進学したあとは、(心友だけが)恋愛などに忙しく疎遠になった時期もあった。高校を出たのち、当時かまってくれなかったことに苦言を呈したら「だってあんた、なんか暗かってんもん」と言われたことがある。身もふたもないとはこの事です。構ってくれよ。でも、そういうところが今でも心友の大好きなところだ。

私が18歳で上京、22歳の頃に大阪に戻ってきたら今度は心友が就職で上京と、私たちが毎日顔を合わせてた時間は、小学校の2年間と中学校の3年間、計5年間だけだった。

でもその5年以外にも、心友遠距離恋愛中の彼氏を追っ掛けて日曜なのに新幹線に文字通り飛び乗り、大阪に着いたものの実家に連絡もできず私の家に泊まった(会社は普通に休んでた)こととか、私が当時付き合ってた男のモラハラに耐えられず、深夜公園でリスカして血塗れになってたら救急車を呼ばれ、次の朝には男にリュック一つで追い出されて路頭に迷った末、心友の家に泊めてもらったこととか、私たちは酸いも甘いも、たくさんの事象を共有して生きてきた。

私たちは性格が真反対といっていいほどに違う。常に歌を歌いながら生きている、「お前はララランドかよ」って感じの心友と、常に鬱を身に纏い生きている「お前はつげ善春の漫画かよ」って私。私が落ち込んでいるときも、心友は隣で歌を歌っている。(でも、男みたいにヤることやってとっとと帰らないで、側にはいてくれる)

親からも仲を不思議がられるほど対極だけど「つげ善春の漫画に出てくる人間が、ララランドを見て楽しくなっちゃうことに、なんの不思議があるの?」と私は思っている。ていうか自分と同じ鬱属性の人間とふたりでいるなんて、そちらの方が耐えきれない。つげの漫画の登場人物たちも、日々ダウナーでいなきゃいけないことに疲れているはずだ。私だって疲れてる。昔から「闇だ」「プロのメンヘラだ」といわれ続け、本質は確かにそうだが、他人の意識が辛いときもある。でも心友だけは、どんなときでも勝手に歌って踊ってる。こんな素敵なことが、他にあるか。

 

あまりに私の思いが強すぎて、このままいくと文庫一冊ほどの文字数を書き上げてしまいそうなのでそろそろ終わらせたい。私はよく「心友さえおればええわ」と言う。心友にも言うし、他人にも言うし、自分にも言う。これは「他の友達は心友以下」という意味ではまったくない。私は常に心友に助けられて生きてきた。

中学のとき容姿をからかわれ辛かったときも、心友だけは私の容姿を貶さなかった。(心友の親戚に「デブ湾」という、人なのか海なのか分からないあだ名をつけられたことはあったが) 私が16キロ痩せた時、周りは健康被害を疑って祝ってくれなかったが、心友は「うわ!マジで痩せてるやんけ!」と言ってくれた。18歳の時から今まで、私は他人に人格を疑われるヤリマンをやり続けているけど、心友は異性に見向きもされなかった頃の私を知っているから「追い込み馬」(競馬用語。馬群の最後方にポジションを取り、直線でほかの馬をごぼう抜きにする脚質の馬のこと)と呼ぶだけ。「心友がいないと生きていけない」「心友がいればなんとか生きていける気がする」の類似語として「心友がいればそれでいい」という言葉を使うだけだ。

 

これからも心友には健やかに生きてほしい、というか生きてくれないと困るので、私はある種の覚悟をしている。それは、友達がもし夢野久作の小説に出てくるような鬱々とした人間になってしまったら、今度は私がMr.ビーンにならなきゃいけないという覚悟だ。ドグラ・マグラの呉 モヨ子だって、Mr.ビーン観たら多分馬鹿馬鹿しすぎて笑っちゃうだろ。

Mr.ビーンにもなるし、チャップリンにもなるし、オースティンパワーズにもなるよ。恋愛とも全然違うこの愛情のことを、私は絶対に守りぬこうと思う。もうクラスを引き離す学年主任もいないから、あとは私の頑張り次第だ。