変じゃないブログ

なんかいろいろ。へんしゅうぎょう。ツイッターは@henjanaimon

働く人間

私はあまり仕事に執着がない。こう書くと今の仕事を軽んじているみたいだけれど、そういうわけではない。いつでも「いざとなりゃー女でも春でも売りゃあいいし」という感覚で生きている。「めしが食えなきゃ死にゃあいい」とも思っているので、やりたくないことはしないでおこうという、人生完舐めスタイルで生きている。

そんな感覚で生きているから、二日酔いが理由で軽やかに仕事を休み、布団と一体化していた朝、母親が神妙な面持ちで私ににじり寄ってきた。どうやら、父親が20年勤めた会社を辞める決意をしたらしい。

私の父親は今年56歳。あと4年で定年を迎えるが、その4年も耐えきれなくなったとのこと。退職の動機は「人間関係」だそうだ。

父親は20年前にも、人間関係が原因で会社を辞めている。20年ぶり2回目。ちょうど槇原敬之が薬物使用の疑いで逮捕されるスパンと同じだ。そういえば私の父親は槇原と同じ高校出身だったような気もする。違うかもしれない。ていうか、仮に同じ出身校だったとしても、人生の分岐ポイントまで符号を合わせなくていいだろ。

とにかく父親は、どんなときも僕が僕らしくあるために、「今」仕事を辞めたいらしい。二日酔いが理由で軽やかに仕事を休み、布団と一体化している娘と、人間関係が一切うまくいかず仕事を辞めたがる夫。母親の心情を思うと苦々しさしかない。まあ、半分は私のせいなんだけど。

 

世の中の人たちは、えらい。

1日は24時間しかないし、時間は有限なのに「しょうがないことだから」と、悲しい顔をしながら身を粉にして働いている。えらいというより、すごい。「今よりもっとババアになったら最悪立ちんぼするしかないけど、立ちんぼ儲からないだろうな〜ワハハ」とか言いながら酒を飲んで潰れて次の日当たり前のように仕事を休む私には、逆立ちしても真似できない神業のように思える。

そんな、ある種神のような人たちなのに、こと恋愛などになると平気でノンモラルなことをしてくるやつがいるのも理解できない。仮面を使い分ける能力を、一体どこで身につけているのだろう。もしかして、私が知らないだけで、そういったスキルを身につける工程が義務教育にはあるのかもしれない。やられた。私が給食のデザート争奪ジャンケン戦に精を出してるとき、みんなはそんなことを学んでいたのか。そうだとすると私の父親もその教育を受けていないことになる。文化的な民度が低い家庭だ。

 

母親が言うには、「私と父親は似ている」らしい。確かに私はよく仕事を辞めるけれど、人間関係が嫌で辞めたことは一度もない。そういうと聞こえはいいが、そもそも同じ職場の人たちになんの感情も抱かない。「ただ偶然、同じ会社で働くことになっただけの人たちに、なぜ私の高潔な感情を配分しなきゃいけないの?」とすら思っている。まずい、人間関係以前の問題だ。メンタルだけマリーアントワネットなのかもしれない。

そう思うと、会社を辞めるくらい人付き合いに頭を悩ませる私の父親は、ピュアなんだろうなとも思う。「ムカつくなら殺す以外何してもいいだろ。初犯なら執行猶予もつきがちだし、人生一回きりだしボコろうぜ!」ぐらいに思っている私より幾分まともな人間かもしれない。

そんな危険思想の持ち主だということを、私は自分で重々承知しているから、今はなるべく人と関わらずにすむ、かつ、関わる人を自分で選べるスタイルで仕事ができるよう尽力している。私に何か特別な才能があるわけでもないので当然つねに貧乏だが、どうしても興味のない人に迎合することができない身としては、最善の策なのではないか。

「はたして人は、自分を大事にしてくれない人を慮らないといけないのか」は、私が一生悩み続ける命題のひとつだと思う。難しいことを考えなければ、そんな人たちとは無論関わらなくてもいい。この私を粗末に扱うなんて、下等生物に決まってるし。

でも、生きていたらそう言い切って終われない場面にたくさん遭遇する。仕事、恋愛、趣味…いろんな世界で、そういう人は一定数絶対にいるのだ。そして、そういう人に迎合しなければ、自分の立場がまずくなる場合も多々ある。書いてるだけでうんざりするけど、結局人生はそんなことの繰り返しで、たまにキラッと光が差し込んだり途切れたりの修羅の道なんだと思う。

私の父親は生きるのが下手な部類だろうけど、唯一「人生に勝った」といえる点は、伴侶選びで大正解を叩き出したことだろう。母親は、父親から「仕事辞めたい」と告げられたとき「じゃ辞めたら」と返したらしい。

良し悪しは置いといて、人もうまく関われない上にプライドも高い父親のパートナーとしては、究極まで大らかな母親は適役だったと思う。うん、世間一般の良し悪しは置いといて。私ですらも「いや、止めろよ」と思ったけど、それは2人の問題だ。今後どうなろうと、元々は真っ赤な赤の他人同士が、支え合うことができるならそれだけで人生は上々だと思う。

 

「その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」と歌った槇原敬之が、「法」という壁にぶつかり2回もお縄をくらったように、自分のことだけ考えて生きられるような日常は、きっと世界のどこにもない。人類補完計画が遂行されないかぎり、毎日誰かと関わらないと人は生きていけないらしい。「うんざりするな〜」と思うけど、とりあえず今は好きな仕事と好きな人たちに感謝しながら、息も絶え絶えなんとか生きていこうと思う。執行猶予がついたとて、前科者になるのは嫌だから。