変じゃないブログ

なんかいろいろ。へんしゅうぎょう。ツイッターは@henjanaimon

精神病棟に入院していたときの話❷

この記事を読んでくださっている方の中で、「カッコーの巣の上で」という古いアメリカ映画をご存知の方はどれくらいいるのだろうか。

刑務所収容を逃れるため、詐病を使い精神病院送りとなった荒くれ者の主人公マクマーフィーが、精神病院内でも荒くれまくり、古い体勢や独裁的な看護師長に反抗し続け、そんなマクマーフィーの人間らしさに、周りの入院患者たちも徐々に人間らしさを取り戻していくハートフルなヒューマンドラマだが、この映画を視聴した中学生当時、私はその救いのないラストに絶望した。

ある日、マクマーフィーは女友達を精神病院内に招き入れ、いつものごとく荒くれまくり、どんちゃん騒ぎを始める。マクマーフィーには可愛がっているビリーという入院患者がいたのだが、どうやら、ビリーが女友達の一人を好きになってしまったらしい。マクマーフィーは女友達にビリーの筆下ろしを頼み、めでたくビリーはDT卒業となるが、その事が看護師長に知れ、看護師長は激怒。ビリーの母親にその夜の出来事を報告してしまい、マザコン(母親は毒親っぽかった記憶がある)のビリーは自害してしまう。マクマーフィーはビリーの死に怒り狂い、師長を殺そうとするが失敗。言わずと知れたヤバイ精神疾患治療法の「ロボトミー手術」(前頭葉に穴を開けるどう考えてもヤバイ施術だが、1950年代まで現実に横行していた)を受けさせられ、マクマーフィーは白痴となり映画は終わる。

 

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「カッコーの巣の上に」は精神病患者、ひいては心身に何らかの疾患を持つ病人たちの人権を問う映画だったと記憶しているが、よく笑いよく怒るマクマーフィーが完全に人ならざる「もの」にされてしまうラストに、私は狼狽した。またタチの悪いことに、これまでのハートフルなストーリーがすべて吹き飛ぶくらい、役者の演技が完璧だった。もともとの視聴きっかけは、当時ロボトミー手術に興味があったので観てみるかぐらいのものだったが、正気を失った人間の恐ろしさのみが私の頭に植え付けられてしまった。

 

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私が送られた病院には、マクマーフィーのような正気を保った荒くれ者はいなかったが、その代わりにラストシーンのマクマーフィーのような患者さんはたくさんいた。幼い子供でも、手足の自由が効かない老人でもないのに、一人で風呂にも入れない中年女性。ロビーで一日中放心している若い男性。一見普通に見えて、スーツを着ていれば働き盛りのサラリーマンに見えるような男性たちでも、彼らの会話する様子を覗き見ると、どこか表情に締まりがなく、弛緩しきっているように見えた。

病院で生活しているうちに分かったことだが、この病院の中は完全に俗世と隔離された異世界だった。リスク管理のために、自分の病室にはお菓子の類や簡単な雑貨類しか持ち込むことができなかったし、一般の病院のように治療のためのリハビリなどが行われている様子もなかった。お風呂は広めの浴場が病院内にあり、予約をすれば週に2〜3回、入浴することができた。1日の間で「時間」という概念を思い出すのは、原則全員が長テーブルに揃って摂る3回の食事のみで、その他の時間は各々が自由に生活できる。私は身体が弱り切っていたため、1Fにある売店まで歩くことも難しく、ほぼ1日中ベッドで横になっていたが、比較的元気な患者たちは将棋や囲碁を打ち1日が過ぎるのを待っていた。あまり知られていないことだが、痴呆症の患者も精神科にかかるので、病院内には老人もたくさんいた。痴呆症というのは、罹患すれば物忘れだけでなく人間性も大きく変化する厄介な病気で、老人の何人かは廊下で怒号をあげ喧嘩をしていた。「ストリートファイターかよ」と思うほど激しいバトルが繰り広げられていたこともある。彼らはケンでもリュウでもビアンカでもないので、喧嘩が始まると拡張ピアスをつけた若い職員が駆けつけ、彼らを羽交い締めにして喧嘩を止めた。そんな異常な「事案」も、病院内では日常だ。ビビリまくっている私を尻目に、他の入院患者たちは「ま〜た◯◯のジジイだよ」と言わんばかりに、弛緩しきったヘラヘラ笑いを浮かべていた。

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そんな病院内でも、おそらく私は厄介な患者だったと思う。他の患者のように廊下でストリートファイトもせず、夜中に隣の隣の部屋まで響き渡る奇声を上げることもなかったが、とにかく食事を摂れない私に、職員たちは面倒くさそうな顔で対処してくれた。食べたくても食べられない。胃がびくつき、すぐに戻してしまうのだ。もうこの頃には酒も完全に断っていたが、簡単なゼリーぐらいしか満足に食べられない私に、職員は点滴を打ってくれようとした。しかし、職員の腕がないのか私の血管が細いのか(おそらく両方)9回注射を失敗された挙句に「今日はもうやめておこうね」などと言われていた。「『もう』ってなんだよ。点滴に『もう』とかないだろ普通」頭では分かっていたが、もうツッコミの気力も残っていなかった私は、物も言わず食事も摂らず、ベッドの上で1日中寝て過ごすようになった。完全なる生きるしかばねと化していたが、家族が面会に来てくれる日だけ、私は人間に戻ることができた。

家族は私を、完全に慈しみの目で見ていた。弱り切り、まともに歩くこともできない娘と対峙するのは、さぞ胸が痛んだだろう。揃って嘘をつくのが下手な両親なので、表情にはいつも悲しみの色が浮かんでいたが、それでも私を元気付けようと、頻繁に面会に訪れ他愛もない話をしてくれた。駅前に安くて美味しい食堂を見つけたこと、最近ではその食堂のおかみさんが、少しお代をまけてくれること、母方の祖母の家に遊びにいったこと、外はもう冬が明けたこと。病室での会話は迷惑になるので、それらの話を私は受付の長椅子に横たわったまま聞き続けた。正直、座り続けることも出来ない身体で両親の話を聞くのが辛い日もあったが、「せめて少しは元気なふりをしよう」という気概だけが、私を人間に保ってくれていたと思う。一度、父が気分転換に歩いて3分のコンビニに連れ出そうとしてくれたが、1分歩いただけで膝から崩れ落ちたことがあった。初めから、コンビニになんて行けないことは分かっていたが、私が笑顔で喜ぶことが親の救いになればと無理をした。今思うと、あの頃の私にはまだ正気だけは残っていたが、次の日死んでしまってもおかしくないくらい身体はボロボロだった。事実、その1ヶ月後私は心肺停止に陥ることとなる。

 

私の心臓が止まるまでの間、荒んだ入院生活の中で、私にも「知り合い」と呼べる入院患者ができた。これも普通の病院なら考えられないことではあるが、精神病院には喫煙スペースが設けられていた。しかも、来訪者用などではなく、病室が集う階と同階に、まあまあ大きめのスペースが確保されていた。理由はわからないが、あまり我慢を強いると患者の調子が悪くなってしまうからだろう。もちろん、ライターは病室には持ち込めないので、受付で名前を告げ、ライターを借り、スペースに向かう。その喫煙スペースで、よく顔を合わせる同世代の女の子がいた。変な洋モクを吸っている、小太りでメガネの女の子だった。珍しい同世代の入院患者だった私たちは、いつからか二言三言言葉を交わすようになった。話を聞くと、彼女は何度も繰り返し、この病院に入院しているらしかった。