変じゃないブログ

なんかいろいろ。へんしゅうぎょう。ツイッターは@henjanaimon

精神病等に入院していたときの話❸

私はいまだに1日1箱タバコを吸う。完全に、惰性でスパスパ軽やかに、8ミリのメンソールタバコを愛飲している。私が通っていた大学というのは、「名前さえ書けば入学できる」と揶揄されるような学力しか誇らない女子大だったが、いわゆる「お嬢様大学」で、学び舎にはたくさんの育ちが良さそうなお嬢さんがいた。そのお嬢さんたちの一人に、喫煙について言われたことがある。「タバコを吸う人は、何かに依存していないといけない、心の弱い人なんだよ」と。

そのお嬢さんのご指摘通り、19歳の私は何かに依存しないと自我が保てないような人間だった。しかもその悪癖は改善されることなく、私は依存する対象を次々増やし、7年後には精神病棟にブチこまれる大人になっていた。

 

その女の子とは、本当にいつのまにか、きっかけも思い出せないぐらい自然に言葉を交わすようになっていた。半分が痴呆症の高齢者。あとは、一般的に「社会の落伍者」と言われてしまうような人たちだろう。なんらかの疾患を抱えた中年がほとんどの病院の中で、私と彼女は珍しい「20代の女性患者」だった。受付に申告しないと借りられないライターを貸してあげただとか、珍しい洋モクを愛飲していた彼女に声をかけただとか、些細なきっかけで、性別と年齢を共有していた私と彼女は世間話を交わす仲になった。

といっても、初めてこの病院に入院する私と違い、彼女には何人か、病院内に「顔見知り」がいるようだった。この病院では朝昼夕の食事を、患者全員が揃って大きなロビーでとることがしきたりになっていて、学生の頃から友人がいなかった私は、学生時代と同じくひとり隅っこで食事をとっていた。彼女と知り合ってからは、彼女が声をかけてくれて何度か対面に座り食事をとったが、前述通り私は満足に食事ができなかったので、いつも早々に席を後にした。彼女と彼女の顔見知りの人たちは、そんな私を「無理しなくていいんだよ」といったような、やさしい顔で見つめてくれたのが嬉しかった。「こんな人たちしかいない所に入れられるなんて」病院内の非日常感に飲まれ、初めはそう感じた私だったが、彼女たちの存在に少し救われたような思いがした。『まともな人もいるんだ、まともな人でも、こういうところに入れられるんだ。』今にして思えば、私は嫌らしい選民意識を持っていたことがよくわかる。たくさんいる入院患者の中で、食事すら取れないのは私だけだったのに、私はまだ「自分は違う」と思い込んでいた。この自意識の過剰さが、私を陥れた要因の一つだったのに、私は何も理解しようとしていなかった。

 

ある日、病院内の喫煙所で彼女と鉢合わせた。この頃には、私たちはかなりの数の言葉を交わしていたので、挨拶も自然なものになっていた。そして彼女から、あと数週間で退院する旨の知らせを受けた。「自分は他の患者とは違う」と思い込んでいた私は、なんの疑いもなく彼女に「よかったね〜!」と声をかけた。彼女の顔は、みるみる曇り、小さく動く口から「よくないかな」と、呟くような言葉が聞こえた。いつも明るく、たまに親への憎しみを述べる時以外は陽気に見える彼女が、初めて見せたとても暗い顔だった。

「ま、出てもまたすぐ戻ってくるし!いつもそうだから。外で暮らすとかありえないから!」そう明るく言う彼女は、言葉以外はとても病んでいるようには見えなかった。

 

私は、この病院の中で食事が取れなかったわけではない。アルコールを断った後、胃のこむら返りは徐々に収まり、食べようと思えば普通に食事をすることができた。でも、そうしなかった。もちろん食べたくない日もあったが、食べられないふりをして、食事を回避した日も多くあった。職員の手前、数口食事をとった日はすぐにトイレに向かい、自ら口に指を入れ胃の中のものをすべて嘔吐した。

死にたかった。私はあの時、どうしても死にたかった。病院に入れられたのは予測外だったが、本当は食事を回避しアルコールだけを飲み続け、死ぬつもりだった。こんな状態になっても足繁く見舞いに来てくれる両親を悲しませないため、首吊りや飛び降りなど、「自殺」以外の判決が下されない方法は避けたかった。だから、私は食事を拒み続けた。職員に隠れ、両親に隠れ、私は食べたものを吐き続けていた。

私の計画は完璧だった。だからこそ、今足元もおぼつかなくなり、体がどんどん弱ってきている。このままいくと、私は死ねる。そう、確信していた。

 

これも、私の嫌な選民意識の一つだったと思う。私は、選択して今の自分を作った。ヨボヨボで生気がなくて、まともに歩けず、食事も取れない自分を。そういう自意識があった。だからこそ、彼女の屈託のない笑顔が胸に響いた。この子はきっと、何もかもを諦めている。生きることも、死ぬことも。彼女だけではない。他の人たちも何にも抗うことなく、静かに「この病院にいる自分」を受け入れているのだ。「死ぬこと」とはいえ、何かに向かって執念を燃やす私と、今あることの全てを静かに受け入れている彼らとでは、大きな隔たりがあった。入院当初から、私が感じていた違和感の正体はそれだった。今まで何度精神が病んだか分からない。やっと今、「死」へとうまく歩けていけてる実感がある。だからこそ、同じ「精神病」とされているのに、私のように昂りも荒ぶりもしない彼らに、違和感は初めからあった。その日、彼女の明るい顔に、私は答えを見出してしまった。

 

それから数日後、彼女の退院と時を同じくして、私も病院を出ることになった。一時帰宅先の自宅で心臓発作を起こし、意識不明となった私は、緊急搬送で別病院のICUに運ばれたからだった。私はその病院のICUで10日間の昏睡のすえ意識を取り戻し、そちらの病院で治療を受けることになった。透析やリハビリなど、施設の整った病院でしか受けられない治療が私の身体には必要だった。手厚い看護を受け、心臓発作から2ヶ月後、私は久々に病院外の世界に戻ることになったのだった。

 

その後、私は自殺を企てることなく、社会復帰を果たした。普通の顔をして暮らし、普通の顔をして面接を受け、普通の顔をして合格通知を受け取り、普通の顔をして会社に通勤した。恐らく私の姿を見て、精神病棟への入院歴に気付く人など誰もいなかったと思う。幸いなことに、私は仕事ができない方ではなかったため、ある程度の評価を受けることもできた。私は、完全に「普通の人」に成ることができてしまった。私には、しょうもない虚栄心も、くだらないプライドも、それを踏みつけられたくない競争心も、すべての煩悩があった。だからこそ、普通のくだらない人間に成ることが叶ったのだ。

 

カッコーの巣の上で」に出てきたマクマーフィーは、血気が盛んで野蛮で無礼で、とんでもない荒くれ者だった。だからこそ、病院の中で仲間を焚きつけることができたし、厄介者と疎まれ、最後には人間らしさの全てを切除されてしまった。

完全に煩悩の世界の住人となった今、私はたまに彼女のことを思い出す。とても「ここ」以外では生きられないと、軽く笑っていた彼女。囲碁か将棋をして日が落ちるのを待つ患者たち。誰も、見舞いに姿を見せない彼らのことを。

カトリックにおいて、人は七つの大罪を抱えて生きているとされている。傲慢さがなければ自分に自信は持てないし、嫉妬の気持ちがなければ能力を伸ばすこともできない。憤怒しないことには悲しみに心が押し潰されてしまうし、少しの怠惰がないと、頑張りは長く続かない。強欲さがなければ欲しいものへの活力も失ってしまう。いうならば、現代の食事はすべてが暴食だ。私には、それが罪だとは到底思えない。

すべての罪を前頭葉ごと、マクマーフィーのように奪い取られなかった私は恥ずべき存在なのかもしれない。それでも私は、自分に優しく笑いかけてくれた彼女たちが、すべての罪を課せられ汚い下界に落とされてくれれば、と思う。一緒に罪を背負って、自分の行く道を決めればいい。誰も見舞いに来てくれない病院に、マクマーフィーが来てくれるのはフィクションの話だ。彼女たちの意思を伺える術はもうないが、私はまた次に死ぬ時まで、恥と罪にまみれた自分から、目を逸らすのはやめにしようと決めている。