変じゃないブログ

なんかいろいろ。へんしゅうぎょう。ツイッターは@henjanaimon

パンツ(排泄物)売りの少女だった頃の話❶

もう時効だと思うので、私がありとあらゆるものを売る少女だった頃の話を書く。

高校1年の頃、初めてバイトを始めた。某ファミレスチェーンのホールスタッフとして採用された私は、勤務1ヶ月がすぎたときにはもう抜け殻になっていた。

今でも下手だが、当時の私は現在に輪をかけて人付き合いが下手だった。とにかく人の発言を気にしまくって生きていたので、客のオーダーを聞くのも、同僚たちと世間話をするのも、店長に仕事を習うのも、何もかもが苦痛に感じた。疲弊し切った私は、「成績が落ちて親に怒られた」と学生らしい理由を捏造しバイトを辞めた。

そのときの傷も薄れてきた1年後、今度は居酒屋のホールスタッフとして働き始めた。この居酒屋には店長(社員)と料理長(社員)が在籍していて、店舗責任者が2人いるような形態の居酒屋だったが、この2人の仲が悪かった。

ある日、店長にしこたま怒られている私を見かけた料理長が、他のバイトスタッフに対し「新人があんなに怒られてるのに、何故かばったり慰めたりしてあげないんだ」と発言したらしい。今思うともっともな反応だけど、そのスタッフは私に「いいよね、料理長に気に入られてて」と嫌味を言ってきた。

「限界だ」と思った。どんだけ限界のハードルが低いんだよって感じではあるが、へなちょこメンタルだった当時の私はその発言で大いに傷ついた。その日の退勤時、いかにもアホな「女だったらなんでもいい」みたいな男性バイトに連絡先を聞かれたことも、私の精神にとどめを刺した。

「周りの同級生たちが普通にできてることが、どうやら私にはできないらしい」2つのバイトを1ヶ月で辞めてしまった私は、いたく落ち込んだ。高校生活がまったくうまくいってなかったことも、さらに追い討ちをかけた。ほぼ不登校で、毎日電車で終点の駅まで向かい、ホームで放心してからまた電車に乗り、元々いた駅まで引き返すことを繰り返していた日々の中で、私の中でひとつの閃きが生まれた。「周りの人と同じことができないなら、私にしかできない方法でお金を儲けたらいいんだ」

世は魔法のiらんど戦国時代。ガラケーを使ってすこし検索をかければ、ゴロゴロその手のサイトがヒットした。「🎀🩲パンツ売りの少女🩲🎀」と名がついたそのサイトには、自分の私物や身体を売りたい女子高生と、買いたい中年オヤジが押し寄せ、掲示板で交渉を繰り広げていた。「生脱ぎ希望」「生脱ぎなら+10k」「ホ別20kで」「オナ済希望です」専門用語が飛び交う様子に始めこそたじろいだが、そこは10代である。さすがの吸収力で、初めて掲示板にアクセスした2週間後には、初めてのお客様と待ち合わせをしていた。

「JKを売ろう」と私が思いついたきっかけというのが、高校2年生になり、ダイエットに成功し17キロ痩せたことだった。生まれて初めて肥満体でなくなった私は嬉しくて、今までしたかったことをすべてやり尽くした。露出度の高い服を着る、エクステをつける、可愛い色のコスメで化粧をしてみる。学校は辛かったけど、毎日が楽しかった。「もしかしたら、私も普通のJKに見えるかもしれない」と思えて嬉しかった。その純粋な喜びは一瞬で軽犯罪開始のきっかけに変わるわけだけど、若い子が不良になる導入なんてみんなそんなもんだと思う。若さは美しく、ときに残酷だ。

自信はあった。私はもう普通のJKだと。それでも、やはり不安は残っていた。待ち合わせ相手に、「ブスじゃねえか!」と罵倒されたらどうしよう。いや、それだけに終わらず「ブスなんだからタダでヤらせろよ」と、人気のない場所に引きずり込まれ、強姦されたらどうしよう。自らリスキーな行為に乗り出したのは他でもない自分なのに、最悪の事態を想像し私はビビっていた。当時からめちゃくちゃ快楽天を読んでいたのも、悪い妄想が止まらない原因だった。待ち合わせ相手が来ないとお金が儲からない、でも会うのも怖いと、俯きながら時が過ぎるのを待っていたら、パリッとスーツを着た中年男性に声をかけられた。

「◯◯ちゃん?」私が掲示板に書き込んだ偽名を呼ぶ中年男性は、振り返った私の顔を見ると嬉しそうに「可愛い子でよかった」と言った。

変な話ではあるが、私はこの時初めて、親戚以外の異性に「可愛い」と評価された。パンツを売りたい女と、パンツを買いたい男。最低の人間関係だけど、涙が出るほど嬉しかった。私が、小学校も中学校もずーっと「デブ」と言われ続けた私が、異性に可愛いと言われる日が来るなんて。バイト先のアホに連絡先を聞かれたとき「もしかして女として見てくれてるのかな」と思ったが、そこは相手も10代の若者。スマートな褒め言葉などはかけてくれなかったから、まだ自分に自信が持てなかった。正真正銘、私が初めて「可愛い」と言われたのはこのときだった。

お金をもらうのも申し訳ない気持ちになったが、その男性が手際よく渡してきたお金を受け取って帰路についた。私は、お金が儲かった喜びより、初めて異性に容姿を褒められた嬉しさでいっぱいになった。

長い間拗らした自意識は、いとも簡単によくない原動力へと変化する。その日から私は掲示板に張り付くようになった。毎日のように違う中年男性と待ち合わせ、私物を売り渡した。「可愛いね」「また絶対メールするね」「今度はいつ売れる?」嬉しい言葉が私のもとに続々と届いた。自己肯定感を彼らに見出していた私は、キャバ嬢も顔負けの丁寧な返信をしまくった。この時にはもう「お客様にはその日だけでなく、アフターサービスで喜びを提供したい」と一流のホテルマンみたいなことを考えていた。東横◯ンぐらいになら就職できていたかもしれない。「その情熱を勉強に傾けていればそこそこの大学にいけただろ」というぐらい私は、熱心に売り活動を続けた。そんな日々の中で、私はとある書き込みを見つける。

「生出しでウ◯コを売って欲しいのですが」JKの排泄物を求める男性の書き込みだった。